ニセ仙人山籠もり

なぜ、ハンス・ドリーシュを研究するか

2017年7月29日 | 機械論と生気論 | Download PDF

 なぜ、ハンス・ドリーシュ(1864~1941)を研究するのか?
 世界を見渡してみると、どうも私は、たった一人のドリーシュの研究者らしい。

Hans Driesch(1867~1941) R.Mocek『W.Roux–H.Driesch』G.Fischer,1974

 それでもドリーシュを研究する理由は、現在の生命科学が抱える、認識論上の重大な欠陥を、独特な形で指摘し、一生涯、この欠陥を埋めるための解答を追い求めた人間だからである。

 哲学することは賭けである。

 ドリーシュは、19世紀自然科学の粋である古典力学の諸著作を精読し、その結果、熱力学第二法則と生命現象が矛盾することを、はじめて明確に指摘した。ただし、そこを出発点に苦闘した果てにたどり着いたのは、壮大な哲学的虚構を描き出すことであった。彼が追及したのは、言わば「秩序の実在論」である。

 だが認識論史を振り返ってみれば、見立て違いによって袋小路に入り込む例は珍しくはない。哲学的な賭けは、大半が失敗に終わる運命にある。だが、先人の知的格闘はすべて、いまを生きるわれわれにとって貴重な財産である。不幸な事情が重なって、ドリーシュの諸著作は「破棄されるべき破産財」という扱いとなっている。しかし、その一部が誤りであったというだけで、その人間すべてが否定されるのだとしたら、哲学史なぞは成り立たない。

 結局、ドリーシュ研究は、広義の20世紀精神史の中に置いてこれを進めることが鍵である。それは一方で、長年の間に振り積もったドリーシュに対する拒否感情と、他方で、分子生物学が最終的に生気論を撲滅させてた、とする平板な科学啓蒙のままにある意識から、同時に脱出することが、まず必須条件である。

 ところで、まったく関係はないが、H.ドリーシュと南方熊楠は、生没年が同じ、1867~1941年である。