ニセ仙人山籠もり

謎の人:柴谷篤弘

2020年1月12日 | 進化論, 雑記 | Download PDF

 2年前の秋、大学山岳部の同期が、妙高高原の笹ヶ峰にある京大山岳部ヒュッテに集まったことがある。そのとき偶然、ヒュッテの本棚に、『行く手は北山 その彼方』(北山の会「京都一中山岳部史編纂委員会」、2003)という、魅力的な本を見つけ、どうしても手に入れたくなった。その事務局にメールをしてみたら、なんと事務の責任者は、山岳部後輩で、剣合宿にいっしょに行った高鍬博氏だった。「非売品だし、在庫もない」ということだったのだが、高鍬氏は関係者の間を回って、まもなく私の願いをかなえてくれた。

 それにしても、こういう高校山岳部が存在するとは、仰天するばかりである。私のこころ奥深くに刻まれている、はるか昔に消滅してしまった愛知県立旭丘高校山岳部とは雲泥の差である。一片の嫉妬すら抱きようのない、まったくの格の違いである。
 荒神橋あたりから北を見やると、緑の北山がえんえんと重なり、そのはるか先には白い未踏の山々が控えているのではないか、という幻想に誘い込まれるような、独特の雰囲気があるのだが、それがこの本にはうまくとらえられて、詰まっている。

 ところがである。本をパラパラめくっていたら、とんでもないことを見つけてしまった。


左から4人目が柴谷篤弘、土倉九三、梅棹忠夫の各氏。同書p.251より

 後半の「第5章 京一中山岳部のことども」の「第2節 山岳部の黄金時代を築いた部員たち」の項に、柴谷篤弘(1920~2011:本名は横田篤弘)氏が、梅棹忠夫(1920~2010)氏らとともに登場し、大いに議論をしているのである。
 となると、柴谷氏は京都一中山岳部を通して、今西錦司(1902~1992)氏の山登り仲間の紛れもない後輩に当たる。ふつう、こういうことは自慢げに話すものなのだが・・・。
 だが、私が『進化論も進化する』の対談本で二氏にお目にかかったとき、二人はそんな素振りはいっさい見せなかった。そもそも、この対談が成立したのは、柴谷氏が『今西進化論批判試論』(朝日出版社、1981)を出版したのが理由なのだが、いざ二人を引き合わせてみると、なんとお互いに初対面であることを告白したのである。

 今西・柴谷対談は、当時、二条大橋の西詰にあった「ホテルフジタ」の庭の別邸で、2日間かけて行われた。ただし、1日目は議論はあまり進まなかった。
 柴谷篤弘という人は、文章上はたいへん押しが強いという印象なのだが、本当は、非常にシャイな人ではなかったかと思う。それにつけても、今西氏のまえで、あれほどまでに山の経歴を完璧に伏せた柴谷氏には、新しい謎が一つ生まれた気がする。


『進化論も進化する』(リブロポート、1984)より