ニセ仙人山籠もり

なぜ、ブログか

2011年12月23日 | 雑記 | Download PDF

 恥ずかしながら、ブログを始めることにした。
 理由は、要約すると二つになる。
 一つは、これまで活字にしてきたこと、もしくは活字にできた内容とは異なったものを、誰かに向かって言いたくなったからである。このことは、活字・メディアにはある種のスクリーニングがかかっていることを意味する。考えてみれば、それは当然で、これらには社会的媒体として責任があるからである。だとすれば、私にとって、ブログはおあつらえ向きの手段ということになる。

 もう一つの理由は、歳をとったことである。もう言いたいことは、波紋を気にせずはっきり言おう、と思うようになった。人間、いくばくかの志をもつ者であれば、自分の本当の考えは、簡単には他人に言わないもの、と考えてきた。しかし還暦を過ぎ、死までの時間を見積もるようになると、本当に書きたいことを書いておこうと思うまでになった。還暦後、書くものの内容を一変させた人の代表に、ホワイトヘッド(Alfred N.Whitehead 1861-1947)がいる。むろん比ぶべきもないが、私の場合、『時間と生命』(書籍工房早山 2010)がそれである。私費出版である。これで、出版社の意向から完全に自由になり、好きなように本を作るという、無上の快感を知ってしまった。

 言わなければ伝わらないのは、いたし方がないとしても、また、言ったところで伝わるものでもないのである。

 『中曽根康弘句集』(角川書店 1985)のなかで、つぎの三句がとくに好きである。傑作だと思う。

  鯉一念 沈みたるまま 年明ける
  俗論は 潮騒のごと 雲の峰
  くれてなお 命の限り 蝉しぐれ