ニセ仙人山籠もり

機械論と生気論

極微物理学的生命主義

自然の階層性とその対処法    N・」ボーア(Niels Bohr:1885~1962)が「光と生命」という講演で述べた、生命の研究に関する接近不可能性。P・ヨルダン(Ernst Pascual Jordan:1902~1980)、生物学的相補性、  H・ビンテルシュタイン(Hans Winterstein:1879~1963)は、この論文を書いた時点では、イスタンブール大学の生理学教授である。ビンテルシュタインは、呼吸の生理学研究などで第一級の業績があり、1911~1927年まではロストック大学、1928~1933年まではブレスロー大学の生理学教授であった。ユダヤ系であり、ナチス政権成立後は、トルコに逃れ、イスタンブール大学の教授になった。彼は、マッハ主義の立場から、『思考経済の観点から見た因果性と生気論 Kausalität und Vitalismus vom Stanndpunkt der Denkökonomie』(1928)を著している。  * * * * * * * * * * * 翻訳  H・ビンテルシュタイン:極微物理学的生命主義(Hans Winterstein:Der mikrophysikalischen Vitalismus, Erkenntnis, Vol.7, p.81~91, 1937/1938)  生命主義(Vitalismus:一般的訳語は生気論)は、まるでヒドラのようである。切断された個所から、つねに新しい体が成長してくる。新しいヒドラは、これまでの旧いものと比べ、たいへんに独創的である。これまでの生命主義はすべて、無機的な自然法則が適用できないから生命現象は説明不可能とするものであったが、N・ボーアが出発点となり、後続のP・ヨルダンがとくに主張する考え方は、無機的自然である原子物理学と量子力学に由来する議論である点で特徴的である。われわれは以後これを、“極微物理学的生命主義 mikrophysikalischen Vitalismus”と呼ぶことにする。確かに、電子と生命はともに“非因果論”の領域である。  因果性を定義するとなると、“合法則的な連続現象”、“必然的な関係”、“合法則的な依存性”、現象などの“関数的関係”ということになるのだが、これら知覚される事実の間の関係は、思考による複製でしかなく、確かなものがあるわけでは…

→ 続きを読む

自跋:『ニュートン主義の罠——バイオエピステモロジーⅡ』

 とくに見通しがあって書き始めたわけではないのだが、今回(2017年8月)、『ニュートン主義の罠——バイオエピステモロジーⅡ』(書籍工房早山)を出したことで、『バイオエピステモロジー』(2015年8月、同)、『時間と生命』(2010年9月、同)の“バイオエピステモロジー三部作”をまとめることができた。 もう一冊、わかりやすい集成版を書いてみたいと思っている。

→ 続きを読む

E・ヘッケルの評価と位置づけ——生物世界の解釈革命

進化論的世界像を構築し、提供し続けること  現在の生命科学は、生化学の上に展開している。詳細は省くが、そう断言してよい。そして、この光景は「生命は物理・化学によって説明される」という‟機械論”が、現代の生命科学の基盤を形成し、不動の地位を占めていることを意味する。  この次元の問題を考察の対象とする学問的立場、もしくは、自然に対する科学が拠って立つ認識の形を問題にする立場を、ここでは「自然哲学」と呼ぶことにする。当然、現在の生命科学が立脚するのは、ある特徴をもった機械論である。そして、このの機械論の源をたどっていくと、19世紀ドイツ生物学における機械論(Mechanismus)に行きあたる。

→ 続きを読む

なぜ、ハンス・ドリーシュを研究するか

 なぜ、ハンス・ドリーシュ(1864~1941)を研究するのか?  世界を見渡してみると、どうも私は、たった一人のドリーシュの研究者らしい。  それでもドリーシュを研究する理由は、現在の生命科学が抱える、認識論上の重大な欠陥を、独特な形で指摘し、一生涯、この欠陥を埋めるための解答を追い求めた人間だからである。

→ 続きを読む