機械論と生気論
とくに見通しがあって書き始めたわけではないのだが、今回(2017年8月)、『ニュートン主義の罠——バイオエピステモロジーⅡ』(書籍工房早山)を出したことで、『バイオエピステモロジー』(2015年8月、同)、『時間と生命』(2010年9月、同)の“バイオエピステモロジー三部作”をまとめることができた。 もう一冊、わかりやすい集成版を書いてみたいと思っている。
進化論的世界像を構築し、提供し続けること 現在の生命科学は、生化学の上に展開している。詳細は省くが、そう断言してよい。そして、この光景は「生命は物理・化学によって説明される」という‟機械論”が、現代の生命科学の基盤を形成し、不動の地位を占めていることを意味する。 この次元の問題を考察の対象とする学問的立場、もしくは、自然に対する科学が拠って立つ認識の形を問題にする立場を、ここでは「自然哲学」と呼ぶことにする。当然、現在の生命科学が立脚するのは、ある特徴をもった機械論である。そして、このの機械論の源をたどっていくと、19世紀ドイツ生物学における機械論(Mechanismus)に行きあたる。
なぜ、ハンス・ドリーシュ(1864~1941)を研究するのか? 世界を見渡してみると、どうも私は、たった一人のドリーシュの研究者らしい。 それでもドリーシュを研究する理由は、現在の生命科学が抱える、認識論上の重大な欠陥を、独特な形で指摘し、一生涯、この欠陥を埋めるための解答を追い求めた人間だからである。