ニセ仙人山籠もり

進化論

木村資生氏の思い出(『中央公論』1995年1月号)

 本棚を整理していたら、1971年4月に、木村資生(1924~1994)氏が京大理学部で行った、集団遺伝学の集中講義用のガリ版刷りのテキストが出たきた。1968年に中立進化説を発表し、世界的な大論争の渦中にあったときである。  かなり、書き込みがあり、めずらしく全部聴講したらしい。  木村氏が亡くなったのは、1994年11月13日である。その直後に『中央公論』から2頁ぶんの追悼記事を依頼された。急遽、資料を集めて1週間ほどで書き上げた原稿が、ギリギリで間に合い、12月10日発売の同誌1995年1月号に掲載された。  「木村資生氏は遺伝学に何を残したか」というタイトルの文章(同号p.106~107)を再録しておく。 ————  進化の中立説で有名な、国立遺伝学研究所名誉教授、木村資生氏が逝去された。享年70歳。しばしば、第一級の自然科学者をさして、ノーベル賞級という賛辞が与えられることがあるが、木村氏の場合、これは単なる言葉のあやではなかった。ノーベル医学・生理学賞の受賞に、もっとも近かった日本人の一人であったことは、まぎれもない事実である。  伝統的にノーベル賞は、第一に圧倒的な独創性を、第二に、重要な仮説を提出し、それが後に実証され広く認められるようになったものを、高く評価してきた。しかし最近では、自然科学が大型化し、プロジェクト化してきたため、このような古典的ともいえるノーベル賞のイメージにピタリあてはまるような研究業績が出にくくなっていたからである。  木村資生氏は、1924年、愛知県岡崎市に生まれた。京都大学理学部時代に、タルホコムギの研究で有名な木原均教授の薫陶をうけ、遺伝学に興味をもった。当時の遺伝学は染色体分析が中心であったが、木村氏はまったくの傍流であった集団遺伝学を選んだ。数学を駆使する、その美しさに魅かれたのであろう。しかし日本では、この領域の研究者は極端に少なく、理解者も皆無に近かった。国立遺伝学研究所に職を得たのち、アメリカに留学して、集団遺伝学の大物、クロー教授の下で研究できたことが、大いなる自身につながったに違いない。  遺伝とは、親の形質が子に伝わる現象である。ただし集団遺伝学の立場は、遺伝学としてはかなり異質で、親子関係ばかりか、個々の生物個体までをも消し去り、生物集団としての遺伝子の頻度とその世代間での変動を問題にするものである。学…

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謎の人:柴谷篤弘

 2年前の秋、大学山岳部の同期が、妙高高原の笹ヶ峰にある京大山岳部ヒュッテに集まったことがある。そのとき偶然、ヒュッテの本棚に、『行く手は北山 その彼方』(北山の会「京都一中山岳部史編纂委員会」、2003)という、魅力的な本を見つけ、どうしても手に入れたくなった。その事務局にメールをしてみたら、なんと事務の責任者は、山岳部後輩で、剣合宿にいっしょに行った高鍬博氏だった。「非売品だし、在庫もない」ということだったのだが、高鍬氏は関係者の間を回って、まもなく私の願いをかなえてくれた。  それにしても、こういう高校山岳部が存在するとは、仰天するばかりである。私のこころ奥深くに刻まれている、はるか昔に消滅してしまった愛知県立旭丘高校山岳部とは雲泥の差である。一片の嫉妬すら抱きようのない、まったくの格の違いである。  荒神橋あたりから北を見やると、緑の北山がえんえんと重なり、そのはるか先には白い未踏の山々が控えているのではないか、という幻想に誘い込まれるような、独特の雰囲気があるのだが、それがこの本にはうまくとらえられて、詰まっている。  ところがである。本をパラパラめくっていたら、とんでもないことを見つけてしまった。 左から4人目が柴谷篤弘、土倉九三、梅棹忠夫の各氏。同書p.251より  後半の「第5章 京一中山岳部のことども」の「第2節 山岳部の黄金時代を築いた部員たち」の項に、柴谷篤弘(1920~2011:本名は横田篤弘)氏が、梅棹忠夫(1920~2010)氏らとともに登場し、大いに議論をしているのである。  となると、柴谷氏は京都一中山岳部を通して、今西錦司(1902~1992)氏の山登り仲間の紛れもない後輩に当たる。ふつう、こういうことは自慢げに話すものなのだが・・・。  だが、私が『進化論も進化する』の対談本で二氏にお目にかかったとき、二人はそんな素振りはいっさい見せなかった。そもそも、この対談が成立したのは、柴谷氏が『今西進化論批判試論』(朝日出版社、1981)を出版したのが理由なのだが、いざ二人を引き合わせてみると、なんとお互いに初対面であることを告白したのである。  今西・柴谷対談は、当時、二条大橋の西詰にあった「ホテルフジタ」の庭の別邸で、2日間かけて行われた。ただし、1日目は議論はあまり進まなかった。  柴谷篤弘という人は、文章上はたいへん押しが強いとい…

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1900年の懸賞問題——社会ダーウィニズム、一つの頂点

 名前ばかり有名で、ほとんど研究されてきてはいない歴史的な対象がいくつかある。とくに日本の知的社会は、このような研究の‟空洞”をいくつか抱えている。  その代表例が‟社会ダーウィニズム”である。

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E・ヘッケルの評価と位置づけ——生物世界の解釈革命

進化論的世界像を構築し、提供し続けること  現在の生命科学は、生化学の上に展開している。詳細は省くが、そう断言してよい。そして、この光景は「生命は物理・化学によって説明される」という‟機械論”が、現代の生命科学の基盤を形成し、不動の地位を占めていることを意味する。  この次元の問題を考察の対象とする学問的立場、もしくは、自然に対する科学が拠って立つ認識の形を問題にする立場を、ここでは「自然哲学」と呼ぶことにする。当然、現在の生命科学が立脚するのは、ある特徴をもった機械論である。そして、このの機械論の源をたどっていくと、19世紀ドイツ生物学における機械論(Mechanismus)に行きあたる。

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孤高の人——今西錦司

私が、俗にいう‘今西進化論’の信奉者だと思っている人が意外に多いことに、最近、気がついた。そもそも、今西錦司氏本人ですら、ダーウィンの自然選択説を認めないからと言って、ご自分が独自の進化論を主張したとは、あまり思っておられなかったのではないか。

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