ニセ仙人山籠もり

進化論

謎の人:柴谷篤弘

 2年前の秋、大学山岳部の同期が、妙高高原の笹ヶ峰にある京大山岳部ヒュッテに集まったことがある。そのとき偶然、ヒュッテの本棚に、『行く手は北山 その彼方』(北山の会「京都一中山岳部史編纂委員会」、2003)という、魅力的な本を見つけ、どうしても手に入れたくなった。その事務局にメールをしてみたら、なんと事務の責任者は、山岳部後輩で、剣合宿にいっしょに行った高鍬博氏だった。「非売品だし、在庫もない」ということだったのだが、高鍬氏は関係者の間を回って、まもなく私の願いをかなえてくれた。  それにしても、こういう高校山岳部が存在するとは、仰天するばかりである。私のこころ奥深くに刻まれている、はるか昔に消滅してしまった愛知県立旭丘高校山岳部とは雲泥の差である。一片の嫉妬すら抱きようのない、まったくの格の違いである。  荒神橋あたりから北を見やると、緑の北山がえんえんと重なり、そのはるか先には白い未踏の山々が控えているのではないか、という幻想に誘い込まれるような、独特の雰囲気があるのだが、それがこの本にはうまくとらえられて、詰まっている。  ところがである。本をパラパラめくっていたら、とんでもないことを見つけてしまった。 左から4人目が柴谷篤弘、土倉九三、梅棹忠夫の各氏。同書p.251より  後半の「第5章 京一中山岳部のことども」の「第2節 山岳部の黄金時代を築いた部員たち」の項に、柴谷篤弘(1920~2011:本名は横田篤弘)氏が、梅棹忠夫(1920~2010)氏らとともに登場し、大いに議論をしているのである。  となると、柴谷氏は京都一中山岳部を通して、今西錦司(1902~1992)氏の山登り仲間の紛れもない後輩に当たる。ふつう、こういうことは自慢げに話すものなのだが・・・。  だが、私が『進化論も進化する』の対談本で二氏にお目にかかったとき、二人はそんな素振りはいっさい見せなかった。そもそも、この対談が成立したのは、柴谷氏が『今西進化論批判試論』(朝日出版社、1981)を出版したのが理由なのだが、いざ二人を引き合わせてみると、なんとお互いに初対面であることを告白したのである。  今西・柴谷対談は、当時、二条大橋の西詰にあった「ホテルフジタ」の庭の別邸で、2日間かけて行われた。ただし、1日目は議論はあまり進まなかった。  柴谷篤弘という人は、文章上はたいへん押しが強いとい…

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1900年の懸賞問題——社会ダーウィニズム、一つの頂点

 名前ばかり有名で、ほとんど研究されてきてはいない歴史的な対象がいくつかある。とくに日本の知的社会は、このような研究の‟空洞”をいくつか抱えている。  その代表例が‟社会ダーウィニズム”である。

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E・ヘッケルの評価と位置づけ——生物世界の解釈革命

進化論的世界像を構築し、提供し続けること  現在の生命科学は、生化学の上に展開している。詳細は省くが、そう断言してよい。そして、この光景は「生命は物理・化学によって説明される」という‟機械論”が、現代の生命科学の基盤を形成し、不動の地位を占めていることを意味する。  この次元の問題を考察の対象とする学問的立場、もしくは、自然に対する科学が拠って立つ認識の形を問題にする立場を、ここでは「自然哲学」と呼ぶことにする。当然、現在の生命科学が立脚するのは、ある特徴をもった機械論である。そして、このの機械論の源をたどっていくと、19世紀ドイツ生物学における機械論(Mechanismus)に行きあたる。

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孤高の人——今西錦司

 私が、俗にいう‘今西進化論’の信奉者だと思っている人が意外に多いことに、最近、気がついた。そもそも、今西錦司氏本人ですら、ダーウィンの自然選択説を認めないからと言って、ご自分が独自の進化論を主張したとは、あまり思っておられなかったのではないか。

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