ニセ仙人山籠もり

バイオエピステモロジー

バイオエピステモロジー入門 その1 最深度の科学評論

社会生命科学研究室・科学史担当  ふり返ると、私は人生の大半を、生命科学の最先端の研究活動のすぐ脇にいて、これをじっくり観察し考察をめぐらすのが仕事、というまたとない生活を送ったことになる。  1971年~2010年の40年間存在した、三菱化学(旧三菱化成)生命科学研究所は、民間の実験研究所でありながら、スポンサーである三菱化学は、‘金は出すが口は出さない’という原則を貫いた稀有な研究組織であった。私は76年に、その特別研究部門のひとつ、社会生命科学研究室(中村桂子室長)に採用された。  そもそもこの研究所は、東京大学理学部教授であった江上不二夫(1910~1982)博士に対して、1970年の夏、篠島秀雄(1910~1975)三菱化成社長が、初対面であるにもかかわらず、「自社の戦後再発足20周年事業の一環として社外に生命科学領域の基礎研究所を作ることを考えているが、その場合に所長を引き受けてもらえるか」と申し出たことが発端である(江上不二夫「めぐりあい 篠島秀雄さん」(『毎日新聞』1980年3月4日)。  この時代、企業は利益しか考えないものというのが常識であった。だから、日本学術会議会長(1969年~72年)でもあった江上博士が、一民間企業の研究所長になるというのは、普通ならありえない破格の出来事であった。当時の学術会議は政府への批判色を強めており、加えて江上博士自身、オパーリン(1894~1980)と親しいためソ連寄りの左翼的な知識人と見なされ、長い間、アメリカの入国ビザが下りなかった。  こんななか、東大教授職を投げうって民間の研究所長となる江上博士に対して、三菱化成の側は文字通り三顧の礼で迎えた。当然、研究所の構成とその運営について、江上初代所長の自由裁量にすべてを委ねた。こうして生命科学研究所は、江上構想に従って分子・細胞・個体・地球次元までの生命を対象とし、発足時には、発生生物学と脳神経生物学に焦点が合わせられた。 三菱化成生命科学研究所企画書 1970年  私の感覚でもとくに70年代は、隅々にまで江上不二夫所長の精神がゆきわたっていた。たとえば、生命とは何かという基本的な問いを真摯に問う姿勢が共有されており、研究者の間でラジカルな質問を投げかけあうことはたいへん好ましいことという共通了解があった。事実、科学史担当の私がふらりとある研究室を覗いて、ひどく…

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