ニセ仙人山籠もり

1900年の懸賞問題——社会ダーウィニズム、一つの頂点

2017年10月27日 | 社会ダーウィニズム, 進化論 | Download PDF

 名前ばかり有名で、ほとんど研究されてきてはいない歴史的な対象がいくつかある。とくに日本の知的社会は、このような研究の‟空洞”をいくつか抱えている。
 その代表例が‟社会ダーウィニズム”である。 

少ない、ドイツ社会ダーウィニズムの研究
 この概念について英語圏では、ホフシュタター(Richard Hofstadter)の『アメリカ思想における社会ダーウィニズム Social Darwinism in American Thought』(1944)という基本書がある。ただし、和訳のタイトルは『アメリカの社会進化思想』(後藤昭次訳、研究社、1973)となっている。日本には、‟社会ダーウィニズム”は誤った思想であり、まともな研究対象や読書対象にはならないという予断があると見てよい。
 社会ダーウィニズムは危険でいかがわしい思想と見なされるのは、それがヒトラー思想につながるからである。実際、D・ガスマン(Daniel Gasman)は『国家社会主義の科学的起源 The Scientific Origins of National Socialism』(1971)で、E・ヘッケルの一元論同盟をヒトラーに直結させる議論をしているが、これはその後、修正されてきている。
 社会ダーウィニズムは、ドイツ社会で圧倒的な影響力をもち、これについては海外で多くの研究が積みあげられている。しかし日本の知的社会はこれらの成果を咀嚼してきてはいないため、ナチズムに関する議論が、今なお平板なものになりがちである。ドイツ社会ダーウィニズムについては、このブログでも研究レビューを行う予定である。

1900年懸賞問題―—ドイツ社会ダーウィニズムを象徴する出来事
 日本ではまず言及されることはないが、ドイツ社会ダーウィニズムの隆盛を象徴する出来事がある。1900年1月1日に公表された、「われわれは国内政策に関して進化論から何を学ぶか」という懸賞問題である。以下に、この懸賞問題の基本情報である、受賞論文集の『序論』を全訳(末尾一部を省略)したのでそれを公開する。
 19世紀最後の年に、このようなテーマで広く論文を募る目的で、匿名で3万マルクの巨額資金が提供され、その実施を、進化論の一大権威であったE・ヘッケルを軸に、3名の大学教授が引き受けた。資金の提供者は、ドイツ鉄鋼財閥の大立者、F・クルップ(Friedrich Alfred Krupp:1854~1902)であった。彼の名は、死後しばらくしてから明らかにされた。
 この懸賞問題で第一を獲得したのが、W・シャルマイヤー(Wilhelm Schallmayer:1857~1919)の『遺伝と淘汰 Vererbung und Auslese』であり、優生政策を論じたものである。これによって彼は、プレッツとともにドイツ優生学の先駆者とされるようになった。この面からも、社会ダーウィニズムの具体策の典型は優生政策であったことは明らかである。
 この懸賞に応募し、選外入賞となったのがL・ボルツマン(Ludwig Woltmann:1871~1907)である。彼は順位を不服として独力で、『政治人類学 Politische Anthropologie』(1903)を出版する。彼が選外入賞となったのは、社会民主党員であったからだと考えられる。
 入賞論文は一連の全集として出版されたが、これらの著作を個別的かつ具体的に批判したのが、社会学者のF・テンニース(Ferdinand Tönnies:1855~1936)であった。
 このような、社会現象を生物学的要因などに還元して‟因果論的”に説明しようとする試みを、一括して批判し拒否し、社会学独自の学問的視程を確立させようとした最終決着の場が、1910年の第1回ドイツ社会学者会議であったのである。
 ウェーバーのプレッツに対する批判は、そのような思想史的な重みをもったものであった。


H.Ziegler『自然と国家 序論』(1903年)表紙

 この論文全集は、H.E.Ziegler教授編、Conrad 教授および Haeckel 教授共編『自然と国家 自然科学的社会学説への論考 Natur und Staat. Beiträge zur naturwissenshaftlichen Gesellchaftslehre』というタイトルで出版された。以下は、その中の、イエナ大学教授 H・チィーグラー(Heinrich Ernst Ziegler:1858~1925)著『序論 Einleitung』(1903年)のほぼ全文である。

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〔本文訳〕
Ⅰ 懸賞公募と論文全集の発刊(Das Preisausschreiben und die Entstehung des Sammelwerkes)
 1900年1月1日に、ヘッケル教授(イエナ大学)、コンラッド教授(ハレ大学)とフラース教授(シュッツガルト大学)は、以下に示す懸賞問題を公表した。定められた期間内に応募があった60篇の論文/論考のなかから、8篇が入賞となり、他に数篇が出版される資格を得た。全集として7篇の入賞論文と、上述の3篇の論文が公刊された。
 以下ではまず、懸賞公募のテーマとそれに関する説明と、賞金分配の決定法を添えた。そして、懸賞公募の結果公表が続くが、それは1903年3月7日に公表したものである。さらに、論文全体について詳述し、賞の評価結果について報告する。
          *  *  *

     懸賞公募(Preis-Ausschreiben)
 科学振興と祖国の利益のために、以下に示す懸賞問題への解答を得る目的で、われわれ署名者に総額30,000マルクが託された。
 われわれは、この基金を管理するという高尚な任務を喜んで引き受けることとした。われわれは、ここにそのテーマを公表し、さらに賞金の授与に関する決定を付記する。われわれは、科学的な素養をもつ人びとに、この興味深い、時宜を得た課題に取り組むことを勧めるものである。

(p.2)   テーマ(Thema):
 国家の国内政策の発展、およびその立法に関して、われわれは進化論の原理から何を学ぶか?

      説明(Erläuterungen)
 テーマの取り扱いについては、以下の視点が考慮されること。
A.遺伝(Die Vererbung):遺伝は、人間の自然の素質、すなわち生得的(遺伝的)精神特性と人格特性、利己的本能、家族本能、社会的本能などを条件づける。
 自然の素質は、基本的にすべての人間で同じである。ではあるが、より厳密に観察すると、おのおの個人は同じではないことがわかる。それは、家系の原基に依存し、自然な遺伝を通して父方か母方かのどちらかの性質が個人に伝えられる。自然の遺伝とこれに由来する原基(Anlage)の多様性に着目することは、社会関係を理解するに際し、すこぶる重要である。
 ある民族(Volk)の自然の素質が変化することは、非常に長い時間をかけてのみ生じる。それは、選択によるか、獲得形質の遺伝によって可能となる(後者は、多くの自然科学者が否定している)。
B.適応(Die Anpassung)と伝統(Die Tradition):個々人における自然の原基に対して、環境への適応が加わる。それは、教育、大人の模範、授業、独自の経験など、そしてとくに伝統的な考え、習慣、法律、また伝統全体によって条件づけられる。
 民族(とくに文化民族)では、伝統は絶えず変化をする。一般的に、経済的な関係(人口、技術の進歩、通商の緩和、所得比率の変化、など)も、また理論的な学説(科学の進歩、メデイアにおける重要人物の人格性の影響、など)も変わっていく。加えて、政治的関係も変化する。これは、民族の全体制だけに依存しているのではなく、いく人かの有力な人物の行動にも拠るところがある。これらのすべての変化は、習慣や考え方をゆっくり変化させ、その結果、制度や法律の変化を引き起こすことになる。
(p.3) 民族全体の考え方や習慣は、長い間かかって変化し、こうして継承される考え方は、それそれの時代の人たちの心の中に深く浸透する。これは、伝統的な考え方や習慣に対応する権利意識にも該当し、一定の相互関係の中で、法律として形をなす。
 それぞれの時代の民族がもつ法律は、伝統的な規範と、その時点での存立条件と、ここから生じた考え方からの産物である。
 新しい法律は(それが恣意的に与えられたものでない限り)、変化した利害関係と考え方に対応した適応(Anpassung)として現れる。健全で合理的な発展拡大の基本条件は、伝統的な法律と制度に対する基本認識と良心的な尊重にこそ求められるのであるから、適応を基盤とした制度のさらなる合理的発展によってのみ、それは現実のものとなり、現在の制度の精神が、いわば民族の血となり肉となりうるのである。そうでない場合は、いくら立法を拡大しようと試みても(進歩しているように見えたとしても)、空疎な価値しか持ちえない。
 民族の感受性に歩調を合わせた、法律と制度のゆっくりとした着実な発展は、間違いなく、民族の健全な進歩に寄与する。
 論文執筆にあたっては、Aの部分に関しては、自然の遺伝について説明があることが望ましいし、また、Bの部分に関しては、歴史の中から例を挙げること。最後に、(革命運動から、停滞や退歩に至るまで)ドイツの政治がどの方向に向いているかについて、示すことが望ましい。

      取り決め(Bestimmungen)
 提示された懸賞課題に対する取り組みは、科学的に価値があり、かつ分かりやすいものでなければならない。重要な文献は、オリジナルなものを配慮し、原著作を通常の様式で引用すべきである。提出論文はドイツ語で書かれ、原稿はそのまま印刷に回せるものでなければならない。証拠ではあるが、本文中に入れるのは適切ではない詳細な資料は、付録とすることができる。
 懸賞の審査員は、著者の傾向や党派的を見るのではなく、科学的な内容に従って判定を行う。
(p.4) 審査員は、コンラッド教授(ハレ大学)、シェファー教授(ハイデルベルク大学)、チーグラー教授(イエナ大学)であり、それぞれ独立に判断を行う。懸賞審査員の判断を比較し、最終判断をする決定委員会が置かれることになる。
 それぞれの作品には、標語(Motto)が添えられなければならない。
 決定委員会は、賞を獲得した作品を、著者固有の権利を確保したうえで、応募作品を出版する権限を保持する。ただし、当該著者に権利が戻された場合、委員会は当該の作品を出版しない。
 第一位の賞金に、少なくとも10,000マルクを確保し、第二位、第三位の賞金に5,000マルク以上になるようにし、さらにそれ以外にも、良い作品に対する顕彰が考えられる。
 原稿は、イエナ大学動物学教授室(E・ヘッケル教授)宛てにし、遅くとも1902年12月1日までに必着のこと。
 懸賞の応募サンプルを送付することも歓迎する。
       1900年1月1日   イエナにて
   署名:ヘッケル教授、コンラッド教授、フラース教授

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      1900年1月1日に公示された懸賞公募の審査結果
          (1903年3月9日に発表)

 署名者らは懸賞公募について結論に達し、賞の順位を公表することになった。
 まずここで、懸賞公募、とりわけその賞金配分の基準となる取り決めについて、繰り返しておく。(ここで、上述の懸賞公募の辞退者が出た)
懸賞公募の基本に従って、昨年12月1日までに、60篇の論考・論文・冊子の寄稿があった。うち、ドイツから44篇、オーストリアから8篇、スイスから4篇、ロシアとアメリカからが、それぞれ2篇あった。
(p.5) 応募論文は、一部、分厚いものもあったが、到着順に番号が振られ、それぞれ三人の評価者に送付され、個々の論文についてそれぞれに評価が行われ、文書化された。
 1903年3月7日に実行委員会が開かれ、これら審査委員の判定を根拠に受賞者が決定され、著者の氏名が公表された。
 賞にふさわしいと決定された論文には賞金が授与されるが、すでに本として出版が決まっている場合はこれに当たらない。これに該当するのは、オットー・アモン(Otto Ammon:1842~1916)の多くの面で価値のある本(『社会秩序 Die Gesellschaftsordnung』、1900)であるが、誤解して衝撃を受けないでほしい。

      * * * * * * *
 以下のように、8論文に賞が与えられた。
 第一等の論文は、「よき者は同様に生まれてくるべき」というモットーが付されている。著者は、ミュンヘンの医師、W・シャルマイヤー医学博士。
 以下の3論文は、第二等を得た(これらは賞の第二等、第三等に当たるが、順位なし)。
「他に期待することはなし」のモットーが付された論文、著者はArthr Ruppin博士、マグデブルク。
「喜びとバレンタイン」のモットーが付された論文、著者はHeinrich Matzat、マイルブルクの国土経済研究所長。
「私は断固行う」のモットーが付された論文、著者はAlbert Hesse、ハレ。
さらなる入賞(順位なし)として、以下の論文が加えられた。
「世界史は生物の発展史の一部である」のモットーが付された論文、著者はLudwig Woltmann医学・哲学博士、アイゼナハの『政治人類学レビュー Politish-anthropologischen Revue』の編集者。
「自然に従う Rerum naturae adsentior」のモットーが付された論文、著者はHermann Friedmann法学博士、ベルリン。
「Tamara(ユダの息子)」のモットーが付された論文、著者はAurt Michaelis、作家、ミュンヘン。
「自ら守れ」のモットーが付された論文、著者はEleutheropulos哲学博士、チューリヒ。
(p.6) 応募論文では、テーマに対するさまざまな見解や、さまざまな政治的方向性が、科学的基盤に重きを置いた上で、展開されていた。
 賞を獲得した論文は、共通してそれぞれに公刊されることになる。全集は、イエナのG・フィッシャー社から『自然と国家:自然科学的社会学説の考察』として出版される。
 いま言及した論文以外にも、他のいくつかの論文は、非常な努力のものと認められ、審査員が比較的良質であるという評価を獲得した。これら注目に値するとされた論文のいくつかは、(全体か部分かを)受賞論文の全集とともに出版される。
印刷されない原稿は、今月中に返送されることになる。
    1903年3月7日   イエナにて
    署名:ヘッケル教授、コンラッド教授、フラース教授

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 前述した公示で明らかなように、懸賞論文のうち賞金が授与されることになった論文だけでなく、全体で8篇が賞を獲得した。その他に、ある数の論文が懸賞委員会によって印刷にまわされ、褒賞が支払われた。ただしそれらは後に全集全体の中には含まれないものとされた。たいへん幅広く賞を与えられたのは、ひとえに、応募論文が多数であることを考慮し、寄託された総額が寛大なものであったからであり、かなり高額なものにすることができた。
 賞金の分配は、1900年1月1日の公示によって氏名が公表された審査員によって判断され、これに基づいて行われた。応募論文のうちの大部分については審査員の判定は一致したが、いくつかの論文では評価が分かれた。賞金は、すでに文書化されている取り決めに従って分配されたが、(p.7)その結果は少し極端なものに見えたかも知れない。あるいは、読者はこれらの論文に対して、それぞれの主観的な判定によって別の相対的評価をするかもしれない。
 これらの論文が、審査員と懸賞委員会による最良の判定であったことは、この全集から判るはずである。ここではまず、全集全体について簡単に報告し、そしてこの機会に、賞金の分配の際に考慮された基本原理についても説明をしておく。
 応募論文は、実に多様な種類でさまざまな意義をもつものであった。
 だたし、多くの著者はこのテーマを完全には理解しておらず、その難しさを把握できてはいなかった。ある数の手稿は短くて重要ではなく、懸賞の審査員が真面目な考察の対象にはできないものがあった。また、少数のぶあつい論文には奇妙な見解が含まれていたり、使用に耐えない文体で書かれたりしていた。
 これらのまったく不適切な論文を除外すると、選考に耐えるものとして45著作が残った。さらにいくつかは、懸賞公募の規定を満たしていないため、賞に応じられなかった。その後は、その成果の報告が明確になさるよう、ともかく冊子に印刷に付される。さらにいくつかの論文は、科学的な価値に値していなかったり、また、引用文献がなかったり、極端に少なかったりしたものがあった(取り決めの項を参照)。こうして、著者の才能が証明され、テーマとの関係性が示された欠陥のない論文となった。
(p.8) 多くの著者は、その論文の中で自身の自然哲学を展開している。普通は、一定の概念の下で自然と人間生活のすべての現象を考察するか、それぞれが支持する理想の光をこれに当てて考察している。そして、個々の論文全体が懸賞のテーマへの取り組みにそわない場合、審査員は、個々の論文の自然哲学の価値を判断するのではなく、前述した懸賞公募の課題に沿っているか、これに対して何か意見を言っているか、に関して判定を行った。また、さまざまな世界観が論文と融合した状態にあり、これに対して外から対立する見解と関連させることは、何ひとつ益にはならないのである。
 このテーマに従う以上、考察の出発的には進化論の原理を置かざるをえない。これによってすべての見解は自然科学的な意義を獲得することになる。すなわち、著者は、遺伝学説に関してワイズマン説をとるか、ラマルク説をとるか、同様に進化論において選択説を重視するか限定的にしか認めないか、かのどちらかになる。それはどちらで、また他の見解でも許容される。だたし、遺伝というもの一般を、何か未知の、偶然の、“うつろいやすいもの Launenhaftes”としたり、選択原理を何か不可能なもの見なすような論文には、減点をつけざるをえなかった。ただし、このような例は非常に少数であった。
 懸賞テーマはさまざまに受け取ることが可能で、その著述の方向性もさまざまなものがみられた。こうした見地は、著作に広い余地を与えた。むろん、テーマに添えられた‟説明“は、思考の重要な基盤を提示し、(p.9)作品に望まれるものが含まれている。実はこの説明は、懸賞金の預託者自身によって執筆されたもので、科学の共感者であることが深く反映していることが見てとれる。論文の著者は、この注意点に配慮すれば作成に益があるあるはずである。ただし、科学研究の自由の原理は必要であり、この説明に配慮し過ぎる必要はない。とはいえ、慎重にかつ科学的に遂行される研究である以上、著者は説明に示唆されているものをまったく無視するわけにはいかない。
 全集に目を通せば、非常に多様な論文であることは容易に読みとれる。著者は、多くの取材をし、さまざまな研究をしているから、それぞれが独特の形でこのテーマを扱っている。まさにこれこそ、受賞論文と他の推奨論文を全集として集約するのに、ぴったりでその目的にかなうものである。これらの論文それぞれが、方法論の面で多様であるだけではなく、その構成でも独自性をもっている。思考法の多様性とそれに由来する思索の豊富な相互関連性はこの全集の圧倒的な特徴である。
 懸賞のテーマは非常に幅が広く、非常に多種の専門領域と関係するため、このような包括的な審査は個人の力で把握できる範囲を確実に超えている。懸賞委員会のメンバーはこのような状態にあったが、審査に着手するやいなや審査員からこのような疑問はなくなった。このような基本状況は、著者に対して、自らの最良の認識とその科学的傾向に好きなだけ立脚してその領域を扱う幅広い自由を与えることになった。多くの論文には、哲学的-社会学的論考にあふれ、他のものには歴史的、他のものには民俗学的-社会学的、他のものには衛生学的な考察に満ちていた。法律的-、国民経済的問題もまた、すべての論文で信じられないほど多く扱われていた。現行政党との関係や現在の政治的問題、とくに社会政策的な立法については、いくつかの論文で付随的に扱われるだけの一方で、他の論文には注目に値する論述が見られた。特別な論文については、後に再論するつもりである。
 著者たちは完全に独自に考察したために、ある視点について個々の論文に共通点が見出だせないは当然である。また読者の側は、ある著者だけに同意するのではないだろうから、この論文全集からそれぞれ独自の判断を固めることになるだろう。(p.10)——にもかかわらず、以下の事実は重要である。著者の間で、多くの問題で注目すべき一致がみられ、しばしば互いに独立に共通の論考がみられ、多かれ少なかれそのような要請が存在することである。賞を獲得した論文に共通してみられる多くの見解は、また、他の論文でさまざまな程度主張されている。これら一致点の多くは、自然科学的な思考様式の影響を強く受けた部分である。 
 もし、ある審査員が、ある論文を自然科学的に意義があり、注目に値すると考えたとすれば、著者がいくつかの点で誤っているように見えても、強い反対は出なかった。他方で、審査員はそれぞれに、論文に対してそれぞれ意見をもっているのであり、同意したものとは見なさなかった。そもそもそのような場合は少ないのであり、3人の審査員は多様な専門領域に属しており、すべての点について同じ意見になりえないのは明らかであり、賞の順位については3人全員の判断が考慮された。この全集は審査員の思想によるのではなく、最高の応募者の賜物である。審査員の意見は、個々の書籍に反映している。
 最後に一言、述べておく。これらの最高の論文はむろんその著者によるのであり、それは懸賞公募によってすでに存在した問題について、後追い的に引き出されたのではなく、時とともに現れた問題に関して思考が形を現したのであり、懸賞公募は、それらの思想が形を現し書き表されるための、単なる誘因に過ぎない。この点を鑑みれば、これで懸賞問題の意義が貶められることはない。逆に私は、懸賞公募とその全集を構想したことにいささかの名誉も感じていない。むしろ、アジテーションとおしゃべりのこの時代において、静謐な思考に言葉を与えたことに意義を感じる。

Ⅱ.懸賞公募とその論文全集の意義(Die Beduetung des Preisausschreibens und des Sammelwerkes)
 旧い問題を、これまで通りのありきたりの形で受けとめるのではなく、新しい視点で見つめる人は、ちょうど知らない国を勢いよく進む旅人が大通りから見知らぬ小道に分け入ったときのように、常に何か新しい興味深いことを発見するものである。
(p.11) 19世紀における自然科学の発達、とくに進化論によって新しい光の下に置かれた動物と植物の自然界に関する認識を考慮すれば、自然の中における人間の地位に想像もしなかった光を当てることになり、そしてこれは、社会生活や国家の生命の問題に関して、この新しい見方と関係づけてみるという、これまでにはない、重大な課題をもたらすことになった。現代自然科学の領域の思想は、新しい世界観の基盤を形成し、それはまた、国家や社会に関する学説に影響を与えずにはおかない。
 人間を自然の事物と見なしたとき、どのような結論になるのか。このような課題は実に時宜にかなったものである。これまで、人間は創造の最終産物とみなされ、世界の中のその地位は、形而上学的な想像によって基礎づけられていた。これに対して今は、生物世界の一分岐として自然の思考様式の中に置かれることで、肉体的および精神的な特徴にはその系統としての痕跡が刻まれ、生物学的法則に服するものと見られるようになった。このような考え方からの結論は、まずは心理学的な、そして社会学的な領域に反映されることになる。
 人間の精神は、これまでの考え方では、超自然的な目的を持ち、自由意志が与えられているとされてきた。しかし、自然科学的な見方によれば、人間の精神は、脳の活動に起因しており、それぞれの人間においてこの思考器官の発達に対応して生じ、そのために異なり、肉体的な生命が終わればとともに滅ぶ、とされる。このような一元論的(monistisch)な見解に立つと、個々人の心理的生命は、一方では、遺伝的原基によって生得的に決まっているが、他方で、知識や経験、そして個々人がそれまでの人生で受けてきた印象からも、左右される。また、このような自然科学的な心理学を通して、社会学説や司法に関するある種の問題が、自然科学的心理学と関わってくることも理解可能となる。ここから、とくに刑法に関してどのような結論が導き出されるかは、多くの懸賞論文で詳細に論じられることになる。
 個々人は精神的-性格的な自然の原基によって遺伝が起こるのであれば、遺伝に関する自然科学の学説は、これまでよりはるかに重大な意味を持ってくる。(p.12)こうなるととくに、古典的な人間の同等性理論に対抗して、人間の遺伝的な差異性が認められることになる。この考え方からは、社会学的にさまざまな結論が引き出される。実際、一部の文献では詳論されており、応募論文の多くにおいても踏み込んだ議論がされている。
 正常なすべての人間では、生得的な原基と本能には、自然科学的な意味で、人類の原始時代から見られ、古い祖先より前に起源を発する、共通した一定の性向がある。原始時代に人間はどのような生活をしていたのかという問いは、また、自然科学的な心理学と密接な関係がある。しかしこの問題はまた、古代の人類は家族や社会的連帯の面でどのように暮らしていたか、という社会学説の根本問題に触れることになる。
 言語の習得と道具の製作を介して最初の文化が発生したが、これより前は、進化学説の原理である、過剰な人口増加、生存闘争と選択、最適者生存、性選択、の法則は、他の生物と同様、人間に関しても無制限にかかっていた。ダーウィン学説を基盤に動物界/植物界を成立させた事情が、人類の古代においても、その原理が有効であったことを否定するには至らない。また、進化学説の原理は、明らかに人類の文化状態に対しても、恐らくは限定的であるとしても、一定の意味をもたらした。いずれにせよ、この問いは有効であり、進化論学説の原理はどんな形態であれ、人類史上の現在の生存関係にも、また有効でありうるだろう。われわれは、実に多面的な問題に出会っているのであり、それは文化の状態において生存闘争を代用する様式であったり、あるいは選択という意味で作用するのかも知れない。
 進化理論の原理、なかでも選択の原理は、文化的人間においては、著しく変形され、限定された形で作用しているとすると、次のような疑問が生じてくる。人間の自然的特性は悪化、もしくは退化する恐れである。ある調査によると、文化的世界にとっては明らかに深刻なものになっている。これに対しては、自然科学的・医学的な基盤に立つことで初めて、対応が可能になる。いくつかの受賞論文でも、この問題について基本的な考察がなされている。
 さらに、懸賞のテーマの、別の側面についても考えてみる必要がある。文化全体として受け継がれる慣行・知識・考え方・慣習・法律にも、進化理論の原理は、ある意味で該当する。世代から世代への継承も、また精神的・社会的状況の伝統も、比喩的な意味ではあるが、自然的形質の遺伝と比較可能な、遺伝のような特徴を持っている。これらすべての継承される伝統的な精神的な財は、現代への考察や歴史の流れの中ではじめて認識される事柄のように、ゆっくり絶え間なく変化していく。これらの変化は、動物や植物の種の変異と、比喩的にではあるが比較できる。つまり、伝統的な考え方・慣習・法律が修正されることによって、新しい生活環境への適応がもたらされる。国家の支柱や、他の社会的組織を形成する慣習や法律は、全体にとって、有用であったり有害であったして、結果的に、その有機体に成長や衰退をもたらす。このことはまた、自然淘汰や選択によって、実際の種にも起こりうることである。それはまた、文化という現象も、本書『序論』第Ⅱ章で触れたように、遺伝と適応の観点から考えてみることも可能である。
 このような考え方がどこまで行ってみる価値があるのか、アプリオリに言明することは困難であり、この問題で、前もってどちらかの判断をすべきではない。ただ、関連する諸著作を研究することによってのみ、これらの考え方に対する思慮深い結論が得られるのである。
 ただし、このテーマそのものを最初から拒否してしまい、内政や立法に関して進化理論の原理から学ぶものはないと一般的に反対論を並べるような、決めつけをすべきではない。実際、いくつかこのような立場からの詳細な考察はあるし、また懸賞の提出論文の全集の中にも、これらの見解から影響を受けたものが、はっきりと読み取れる。しかし、この全集の他の論文では、いま言及した見解に対する批判的な考察や否定に出会うことになる。
 懸賞のテーマに対するこれらの否定的態度は、私が見るところ、すべての理論的考察に表出しているのではなく、この論文集や懸賞課題が契機となって書かれた他の論文の内容は全体としてそうではない。(p.14)ともあれ、これらの論文が注目に値し、有用で重要な論考であるならば、これらの予言者は、懸賞問題がアプリオリに無益であると、どのように主張するのか?
 若干の哲学者と法学者は、自然科学の結論をこの領域に適用することに抗議し、自然科学の影響に対する防御のために、概念的に分離する作業を試みた。私の考えは、いままで通りの考え方を漠然と抱いている程度なら、新しい思考様式の発展によってそれが妨げられることはないであろう。ただし、自然科学の多数の領域が、理論で関係するのと同様に、ある事実の基礎にあるのなら、概念や方法論で互いに切り離そうとするのは無駄な試みである。自然科学から医学を引き離すことはほとんどできないのなら、哲学や国家科学もそれ自体で自律することは、まずありえない。個別研究から一般的な認識を引き出し得るのか? もしくは、理論的な認識を実際に適用するのは理論の過信なのか? 専門領域に閉じ込めることは、単に、誰もすべての科学を把握することはきないという不幸を必然化し、正当化するだけである。つまり、さまざまな研究領域を認識と同一視し、明確な限界を引いてそこから何も引き出さない、そういう観念に立つのなら、内を向いた個々の科学が存在するだけになってしまう。
 上述のような懸賞テーマに対する明確で原理的な否認は、眼前で長く公然と議論される論争課題が世界のなかから作り出されなくなり、有益ではない。単なる厳密思考や概念の隔離は、結局は不可能であるのは明らかである。実際、1870年代には、社会民主的な著述家がダーウィニズムを論じており、1878年に、動物学者の Oskar Schmidt(1823~1886)が、カッセルで開かれた自然科学者/医学者会議でこれに反対論を展開した。さらに、この問題についての論文や書籍が着実に表れている。この論争課題は長く続き、重要で、(p.15)原則的に、進化論思考はより広い集団に知られるようになり、一元論的世界観それ自体は拡大している。
 今や、懸賞問題を提示し、堂々たる賞金を設けたことは、すべての自然科学的世界観の共鳴者に歓迎され、進化論の帰結について踏み込んだ考察が幅広く進められている。この事実は、これらの学説が、反対者が言うところの国家にとって有害な特徴など、決して持っていないことを疑いもなく示している。それでも反対者は参照しないだろうが、支持者が認める進化理論からの確実な帰結を、間もなく見てとることになるだろう。
 進化理論の反対者は、単に政治的ラジカリズムから非難するだけではなく、倫理を融解させるものと考え、咎めたてるのである。しかし、これらの見解は、もっぱら倫理の宗教的基盤だけを視野に入れ、倫理の学問の社会学的基礎を知らないでいる可能性がある。あらゆる民族は、それぞれの慣習と習慣法(Sittengesetze)をもってはいるが、それぞれは、不滅を信じているわけではなく、見るべき宗教を保持しているわけではない。これらの人類の共同生活から倫理を引き出してみると、そこには容易に、自然科学的な基盤が見てとれる。このような民族の習慣と慣習法を、社会的集団の幸福や構成要素として寄与しているはずと考えるのであれば、(p.16)それらは進化理論の原理から導き出されることを見落としてはならない。この意味を深く考察すれば、いま述べた非難の不当性も明らかとなる。この全集の論文からはまた、進化理論は決して倫理を否定するのではなく、自然科学的・社会学的(naturwissenschaftlich=soziologisch)な基盤の上に新しい基礎を与えること、が示される。この論文全集の中の他の作品において、倫理的な理想主義と優れた生活意見が、いかにたくさん浮かび上がってくることか。
 これらの省察すべてから、懸賞問題の正当性だけではなく、時代に即した重要性と多面的な意義が判明する。

Ⅲ 応募論文の政党性の判定と政治的方向性(Die Beurteilung der Parteien und die politische Richitung der Preisarbeiten)
 懸賞テーマに添えられた説明には、既成政党との関係の判断を示すことが望ましい、としてある。それは当然、理論的な考察の結論と、そのための努力とを比較することになる。多くの著者が、たいていは特別の箇所で、政党に関して述べている。ただしそれは、著作のほんの一部の、付属的な部分であるのは明らかである。
 私はここで、これらの考察の成果について一般的に述べ、それらを論考の政治的-社会的政策の方向性(politisch und sozial-politische Richtung)の視点と関連づけてみる。この作業は、受賞した作品だけではなく、すべての応募論文の全体を考察することになる。
 現在の政党を完全に理解するには、その歴史的発展を見る必要がある。このような政党の歴史的考察は、多くの論文ではまったく無視され、比較的少数の論文である程度考慮されているに過ぎない。
 多くの論文で、政党を利益代表か、地位や“階級”の単なる代理者と理解している。このような思考様式は、政党の歴史的な発展過程の最新の事態の変化に応答したものである。実際、この領域では公的見解で、注目すべき変化が起こった。それぞれの政党は、全民族の福祉を目標であり、それが推進すべき原則であると主張するのだが、(p.17)いまや政党は、個々の身分の利益代表であり、第一線の議員は依頼者の代理人である、という見解がますます広がっている。このような憂慮すべき見解(これが、議会主義の理論的な基盤に変わった)は、応募論文の多くに見られるように、実際、知識人の間に広まっている。
 応募論文全体の政治的・社会政策的傾向を総覧するのは、非常に興味深いことである。ここでは私は、普通やるように政党を右から左へと並べるのではなく、国家への作用の程度によって、そして経済生活や個人生活に対する国家による影響度の大小によって、配列した。だから、一方の極にはアナーキズム(Anarchismus)が、もう一方の極にはマルクス主義的社会主義(marxistsche Sozialismus)が置かれることになる。
 アナーキズムは、応募論文の中では、セント・ぺテルスブルクから寄稿された、あまり重要ではない小さい論文が扱っていた。そこでは、スティルナーの学説がトルストイとニーチェの思想とで融合されている。著者は、民族の平穏は国家権力をできるかぎり制限することでもたらされると期待する。国家は、可能なかぎり少ない法律にとどめ、学校制度にも宗教制度にも悩まされず、経済領域ではすべてがかなえられる。「最少のものしか定めない国家には、最大の機会がある。個人はこの中から生まれてくるのであり、超人が形成される基盤である」。どんな国有化も障害となるのなら、最終的にはスティルナーの命題が正しいことになる。「労働がなくなれば、国家は消滅する」。
 自由主義(言葉の原義において)は、アナーキズムと多くの接点をもっている。国家は、そのような問題情況にはないのだが、国家の有効性にはまた厳しい限界があるのであり、個人の自由や経済的自由は、可能なかぎり維持されている。よく知られているように、ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer:1820~1903)はすでに30年前に、進化論の原理から自由主義の理想を導き出した。自由主義のこの観点は、いまではドイツ自由党のそれとほぼ一致するものだが、これに関してはベルリンから大論文の応募があった。その部分(とくに自然科学的な部分)は非常によく書かれている。健全にもこの著者は、一方で個人の価値を、(p.18)また他方でこれと社会や国家との間のあるべき関係を設定し、さらにその上で、個人の自由を広く確保するために国家による侵害を制限することが必然だとする。彼の場合、国家の内政活動はだいたいが官僚による干渉だと見ている。また、新しい社会政策は問題含みの一側面で、国家が交通施設や他の事業を引き受けることは、基本的に却下される。そして進化論の原理からは、もっぱら、個人の自由な投機と進歩のための経済力の妥当性が、導き出される。
 これらの論文においては、古典的な自由主義の理想、そして今や帝国では認められた、共通で平等な直接選挙権は維持される。だが、他の多くの論文では、選挙権に関してさまざまな改革提案が示されている。それらは概して、実現されるかも知れないが、わが民族の知識人の間では、かつての魔力は失ったものが大半である。
 目についたのは、言及したすべての論文の表現に見られる自由思想的な観点であり、だからそれらは自ずと、選択説の原理と結びついてくる。だが私はここで、現在、時代は別の方向にあることを説明しなくてはならないと確信する。われわれの時代は、進歩的な社会政策が望まれ、かつそれは、強力な国家権力が用意された時、初めて可能になる。これによって、全体の福祉のために個人の自由をあえて制限し、経済装置を秩序だって規制するためである。ずっと多くの論文は、注目すべき事実のこのような意味をとり逃していた。
 だだし、いくつかの論文では、すでに説明したように、国家の社会政策的活動の程度と種類について、さまざま考察している。とくに注目に値するのは、多くの著者が、国家の課題に対して高い理想的な見方を付与していることである。
 第一に挙げるべきは、多くの著者が、国家の課題として、文化的人類の肉体的・精神的な退化を予防することを付与していることで、それは、自然科学的・医学的な配慮に起因し、これまで一般的には公的な生活として問題にされなかったことである。
(p.19) 社会政策に関しては、多くの著者が、中道政党の視点に立っており、それは国家理由主義から、一部は保守派に及んでいる。大きな原理に導かれているのはほとんどないため、さまざまの法律案は、個人と全体にとって実際に有用かで判定した。いくつかの論文では原則失業を非難しているが、他の論文では、それが優先されることに期待をかける。というのも、実際の政策にとって、必要なのは、現実の事態に対する予断のない判断であり、実際、すべての時代の大局的な政治は、原理的政策ではなく、現実的政策であったからである。
 多くの論文はそのなかで、穏健な国家社会主義(Staatssozialismus)を勧告している。今では、社会政策的な立法の幅広い拡大発展が望まれており、具体的には、労働者保護、疾病=、老人=、障碍者=保護、精神障碍者や犯罪者のための国家的な保護施設、国家もしくは組合の職業斡旋、国家や共同体を介する労働者住宅の設立など、の推進である。
 多くの応募論文は、さらに進んだ国家社会主義を推奨する。これを支持する論文は、全体の三分の一に達するだろう。それらは、国家による法定最低賃金の推奨であったり、国による生産規制、あるいは国家による一般的な土地所有の引き受け、工業の領域への国家企業の一段の拡張であったり、地方公共団体や国家の相続法への権限拡張、などなどである。ある論文には、次のような奇妙な提案がある。「これまでの私的商業を国家商業に転換し、利子取り立てを国家的に禁止する…」、以下同様である。
 何らかの形で進んだ国家社会主義を支持する多くの論文は、不明瞭で重要ではない作品となっているのだが、同時に、たいへん基本的で科学的な論文ともなっている。この全集の多くの論文に、多かれ少なかれこの傾向がある。
(p.20) この配列の最後には、マルクス主義的社会主義がくる。それは、国家に強い権力を与え、その中には“生産手段の社会化”や、資本、すべての土地所有権、あらゆる工業企業の国有化が要請される。
 労働者全体には社会主義的傾向がはっきり出てきているが、しかマルクス主義的=、共産主義的=社会主義、また社会民主主義的な視点のものは、応募論文の中ではたいへん少なかった。少数の重要ではない論文には、マルクス主義的理想が見られ、よく知られた社会民主主義的なスローガンは、たくさんあった。さまざまな部分的な見解では、著者が社会主義的な常套句の影響下にあるのは明らかだった。良質の論文には、マルクス主義的な意味ある言及は、ほんのわずか見られるだけである。ある著者は、そのイデオロギーの実行であることの説明はいっさいなしに、“生産手段の国有化”を求めている。他方で、彼は、他の多くのマルクス主義的側面には反対であるため、社会主義的社会に対して、個人間の競争の停止も、収入の平等も期待しない。このようなマルクス主義の擁護者は、その学説に単に適当に依拠しているだけである。他方で、良質な応募論文は、マルクス主義に対して踏み込んだ批判的考察を展開する。とくに注目に値するのは、多くの著者が、かつては公然たるマルクス主義者であったことであり、マルクス主義の主要原理を論破し、克服した後も、その一部はいまもマルクス主義のサークルに属していることである。ある作家は、あまりに長くマルクス主義と付き合ってきたため、“階級闘争”の視点からのみすべての歴史と全世界を眺めることしかできなくなった。
 応募論文の並び全体を展望すると、進化論の原理から、いかにさまざまな実際的な帰論を引き出されたかが、見てとれる。ほとんどすべての政治的傾向が、それを代理している。ただし、教皇至上主義党は例外で、言うまでもなくこの立場は、自然科学的基盤に由来する措置を考えることはできない。
(p.21) 結局、以下のような結論に至る。社会民主主義者のいく人かは通俗本を書いてみてはいるが、既成の政治政党はいずれも、進化理論からの帰結をその原理に据える立場のものはないのである。つまり、懸賞論文に要求されたような自然科学的思考様式は、非常にさまざまな成果が引き出されることを考慮すれば、可能性のある個々の解決策が適切であることを、長い目で説明していかなくてはならない。また、マルクス主義的社会主義は、公的な発言に従うかぎり、自然科学的思考様式の結果をその学説に取り込む余地はほとんどない。
 ただし、懸賞論文の筆者は、その多様な結論につねに同等な権利を見ているか、という問いは開かれたままにある。内政の正当性を言うその多くの帰結が、もう一つの、もしくは別の多様な提案として最高水準の理にかなっているは、吟味してみる価値がある。これらの問いは、論文全集のこの序論が扱うべきものではなく、読者がそれぞれ批判的な眼で個々の論文を評価し、個々の結論の正当性について自身で判断すべきものである。
 そもそも、全集の集約としては、全集の論文の方向性すべてを代表させるという要請があった。だが、これを遂行することは結局は不可能であった。そこで、方向性の広がりを阻害しないよう、全集の周辺のことにはあまり留まらないようにした。全集のそれぞれの論文では、何を置いても、賞を獲得した著作を取りあげた。そこに、無視できないある種の重要な見解を含む少数の論文がつけ加えられた。受賞論文のさまざまな政治的・社会政策的な方向性は認めたが、このような視点からは選考しなかった。賞の評価は、政治的・社会政策的方向性については考慮しないで、前述の懸賞公募の取り決めに従って、このテーマに関する科学的な扱いと、論文の科学的意義を、賞決定の条件にした。

Ⅳ 全集として出版された論文に関して
 賞が授与された8篇のうち、7篇のみが全集となった。L.ボルトマン博士の論文は欠けている。(p.22)これらの論文は、多くの点で最良の、なかでも自然科学的・社会学的領域で、多面的な知識を扱っている。ただし、ボルトマン博士は、公表された賞の順位を拒否し、その本は『政治的人類学 Politische Anthropologie』(1903年)というタイトルで別に出版された。それは、諸民族(Völker)の政治的発展学説への進化学説の影響について研究したものである。
〔以下省略:米本訳〕


『自然と国家 自然科学的社会学説の論考』(1903年)の表紙